第58回東海教育社会学研究会の報告

テーマ: 社会問題としての歴史教育

―逆説,あるいは悲喜劇としての日本史教育―

話題提供者: ましこひでのり 氏(中京大学)

日時: 2002年6月29日(土) 

場所: 椙山女学園大学・星が丘キャンパス

 

ましこ氏は,日本史を教育するということが,いまやひとつの問題として考察すべき対象であるという立場から,そこには具体的にどのような問題があるのかについて,とくに日本史教科書の内容をめぐる一連の動きと関連づけつつ,詳細に論じられた。

氏はまず,議論の前提として,諸学の全面的みなおしのもとに反戦平和運動の一環をになう教育体制としての「戦後教育」理念,史的実証主義の徹底としての「史学教育」理念,史学の到達水準に冷静な判断をくだせる市民の育成としての「歴史教育」理念を提示された。

次に,アカデミズムが今日までもってきた権威を揺るがす動きとして,とくに情報社会と関連づけて以下の3点を挙げられた。すなわち,・「司馬史観」をはじめとする歴史小説や新しい歴史教科書をつくる会の登場,・「大河ドラマ」等のフィクションや歴史マンガの浸透,インターネット上に流布する歴史観の大衆化,である。これらは同時に,検定教科書が生徒たちにもたらす影響力の低下を招いているという点も,指摘された。

さらに氏は,現代の学校における日本史教育について,それが学歴競争ゲーム現象の一装置,いわば「暗記科目」化してしまっており,そこでは史的実証主義者の研究が,選抜試験の内容をつくりだすという皮肉な結果が生み出されていることを示された。また,戦後民主主義教育の特徴として,無意識的ながら「修正された自画像」としての「平和教育」があり,「過剰に対外追従的な史観」のなかから,新しい歴史教科書をつくる会の精神性が生成されていることを論じられた。

最後に上記の議論をもとに,氏は,・「ヤマト民族」の連続性を基本的に支持し,「ヤマト民族」の本質化を自明視する通史感覚の存在,・「健全な民主主義」と「不健全な民主主義」があるとする無自覚な本質主義,・「みにくい自画像」をえがくことにたえられない意識の合力としての「修正」,・日本通史を教える者たちの「市民的・国民的素養は実在する」という信念(=知識人や教育者の存在被拘束性),・情報化社会のなかで「素材」として通用しうる「学校知識」のはたらき,の以上5点を,問題および論争の本質として挙げられた。

以上の氏の報告を受けて,「みにくい自画像」を肯定したときの人びとの生き方,不況下において新しい教科書が与える影響力,多民族によって構成される国家における歴史教育の方法,言語論的転回以降の客観的歴史認識の政治性,などに関して活発な質疑がなされた。歴史認識と歴史教育の難しさを改めて痛感させられる,非常に刺激的で深みのある報告であった。

(東海教育社会学研究会事務局:内田 良)
 

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