第57回東海教育社会学研究会報告

テーマ: 学校の論じ方―存立のメカニズム=変革の論理―

話題提供者: 田中節雄 氏 (椙山女学園大学)

日時: 2001年12月1日(土)

場所: 南山大学

 

現在の子どもと学校教育をめぐる問題状況として、「生活から乖離した学び」「学校生活への嫌気」「政治的主体形成の未熟」の3 点をまず指摘できる。「生活から乖離した学び」とは、学校卒業後の普通の人々の生活を考えたとき、生きていく上で必要な知識が十分に与えられず、あまり必要とはいえないような知識が大量に与えられているような状況を指す。「学校生活への嫌気」は学習だけでなく、さまざまな学校活動への無関心や参加意欲の低下のことを言うが、より問題なのは、学校生活を忌避せざるをえないようなものとして学校が存在してしまっていることである。さらに「政治的主体形成の未熟」とは、支配者(指導者)に対する従順な被治者の形成が目指されてきたような状況のことを言う。

 氏はこのように、子どもたちのおかれた状況を整理した上で、この事態をもたらしたものは基本的に「教育内容」と「学校の生活様式」と「選抜システム」という3つの要因の重層化として説明できるし、またそうするべきであると指摘する。

 「教育内容」については、「政治的主体形成」及び「生活(生きること)と繋がった学び」という視点が非常に弱いこと、社会の批判的な認識が弱いことと関連して子どもたちの生活しているこの現実のなかで生じている問題に対する取り組みへの関心も弱いこと、さらに「分かる歓び」「歓びとしての学び」という視点が弱いことが指摘できる。

 「学校生活という特殊な生活様式」とは、「毎日学校へ通うこと。病気でもなければ学校を休んではいけないこと」など、「学校生活」という特有の生活様式に関わるさまざまな態度や規範あるいは能力のことで、こうした学校生活の特有のあり方を通してまさに子どもたちの現実の問題状況が立ち現れてくるのである。

 こうして子どもたちの問題状況を成立の根拠・由来が異なる複数の要因の重層的な作用結果として説明する方法によって、事態の変革の可能性の認識をもたらすのではないかと氏は結論づける。なぜなら、1970 年頃から出てきた、教育をひとつの支配服従関係と捉える見方や教育の本質を再生産と捉える認識では、現実をうまく説明できても、いやうまく説明できればできるほど、この「問題に満ちた」現実を変革する展望は開けてこないというからくりになっているからである。構造的な必然性を十分に視野に入れると同時に、変革への主体的な関わりの可能性を発見できるようになるためには、事態を引き起こした要因の重層的な結果として説明していくこと、それによって変革は可能になると氏は指摘する。

 このような氏の現在の教育をめぐる重要な問題提起につづいて、参加者とのディスカッションが行われた。氏の指摘する「学びからの忌避」というのは、授業が効率性や合理性を重視し、遊びの要素がなくなってきたから生じた問題状況というより、もともと子どもたちに学びの動機づけというものはなく、受験や高学歴といった今まで学びを動機づけていたものがうまく働かなくなってきたということではないかという意見が出された。また、事態の説明を求めさえすれば変革の芽生えに行き着くことができるのかという質問も出された。さらに、日本的集団主義の要請が教師や生徒の間に「自由でのびのびした心の通い合い」という要素を希薄化させてきたという氏の指摘に対しては、日本的集団主義は現在の教育システムに密接にからまりあっており、それ抜きの教育システムはありうるかという意見があった。他にもさまざまな質問や意見が参加者の間で交わされ、熱の入った議論が展開された。

 (東海教育社会学研究会事務局:田川隆博)
 

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