会長任期の終了にあたって

 会長の任を終えるに当たって、一言挨拶させていただきます。

 まずは、任期中、会員諸氏に多大なご協力をいただきましたことに心から感謝いたします。非力な会長ではありましたが、何とか任を終えることができましたのは、事務局の皆さんはじめ、会員の協力があってのことを深く胆に命じております。ありがとうございました。

 私の記憶によれば、日本教育社会学会が、事務局の移転も含め、新しい運営方式に移行しなければならないことをはっきり意識し始めたのは、会員が1,000 人に近くなっていた7、8年前で、当時の会長は天野郁夫氏でした。会員が1,000人を超えた時代の学会運営をうまく軌道に乗せることがここしばらくの本学会の重要課題であったとしたら、その課題に最初に取り組んだのは天野氏であったといえます。その間にも会員数は着実に増え、潮木守一氏が会長に就任した4年前は1,200人くらいになっていたと思います。そして、潮木会長の2年目に事務局を東京大学教育学部から移転せざるをえないのっぴきならぬ事情が生じました。潮木会長の指揮のもと、この難題に本格的に取り組み始めた直後に、私が会長の任に就くことになりました。野球でいえば、同点で迎えた7回表、ワンアウト、ランナー1、2塁という場面で急遽中継ぎとしてマウンドに上ったようなものでした。正直にいうと、この時点では1点くらいの失点は仕方がないと思っていました。どういうことかといえば、学会運営業務をできるだけスリムにした上で、事務局を私の勤務する筑波大学に移すということです。しかし、業務の委託をめぐって学会事務センターとあれこれ折衝しているうちに、事務局を丸ごと学会事務センターに移せる可能性があることがわかってきました。そうわかってからは事態の進展は急で、事務局を学会事務センターに移行することで一気に作業を進めることになりました。こうして、総会の承認を得て、1999年7月から事務局を東京大学から完全に学会事務センターに移行することにしたのはご承知の通りです。運よく失点をゼロに抑えることができた心境でした。

 私の任期中のあと一つの課題は学会創設50周年事業を成功させることでした。またまた、野球にたとえていえば、記念事業を成功させることは、7回の裏に味方が得点するようなものです。こちらの方は、中辞典の刊行と国際カンフアレンスの開催の二つを主たる内容としたわけですが、中辞典の刊行は、残年ながら、実現させることができませんでした。しかし、国際カンフアレンスの方は、外国から優れた6人の教育社会学者をお呼びし、400人近い参加者を得て予想以上の成果を上げることができました。運よく勝ち越しの1点を入れることができたといっていいのでしょう。そして、いま、私の心境をいえば、非力ながら何とか中継ぎの役割を果たし終え、抑えの切り札ともいうべき竹内洋会長に最終回のマウンドを託したといったところです。

 最後になりましたが、大変な時期に再度の事務局長という大任を引き受けて下さった耳塚寛明氏と事務局各部の部長および部員、そして天野正子委員長はじめ紀要編集委員の諸氏に対し厚くお礼を申し上げます。皆さんが学会に対してなした献身的な仕事ぶりは長く私の記憶に残ることになるでしょう。また、50周年記念事業の実行委員長として、国際カンフアレンスを成功させた藤田英典氏および実行委員会の委員諸氏にも深尽なる感謝の意を表しておきます。本当にご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。

 いま、こうして退任の辞をしたためならが改めて思うのは、わが学会は優れた多くの人材を擁しているなということです。このようなわが学会が、竹内新会長のリーダーシップのもとで、さらなる発展を遂げていくことを期待しつつ、筆をおくことにします。会員諸氏の2年間にわたるご支援に対し、再度厚くお礼申し上げる次第です。


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